今回は妄想も含め、伊勢志摩サミットの件が本題となります。
安倍外交の成果 対中包囲網で結束、東シナ海・南シナ海の懸念を首脳宣言に明記

安倍晋三首相は主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の議長として先進7カ国(G7)の討議を主導し、中国の一方的な海洋進出を念頭に「東シナ海・南シナ海の状況を懸念」と明記した「伊勢志摩首脳宣言」をまとめた。アジアなどの7カ国首脳らが参加した27日のサミット拡大会合でも「開かれた安定した海洋の確保」について意見交換し、G7以外の国も巻き込んで中国を牽制(けんせい)した。

「南シナ海情勢や北朝鮮をめぐり、アジアの安全保障環境が厳しくなっていることは、出席した欧州の首脳にも十分に伝わった」

安倍首相は27日午後のサミット議長記者会見で、こう胸を張った。首相はアジアから地理的に遠い欧州の各首脳らに、いかに中国や北朝鮮問題の重大性・喫緊性を認識させるかに腐心してきたが、今回は確かな手応えを感じたようだ。

「安倍首相のリードの下で、民主主義、法の支配など普遍的価値観を共有する各首脳らは各国の事情も含め率直に話し合っていた」

サミット閉幕、首相「強い危機感共有」 増税判断は参院選前

[伊勢/志摩 27日 ロイター] - 安倍晋三首相は27日、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の閉幕に当たって記者会見し、主要7カ国(G7)は世界経済について「強い危機感を共有した」と強調した。また、2017年4月の消費税率引き上げの是非については、「現時点で結論を出しているわけではない」としつつ、今夏の参院選の前に明らかにすると表明した。

首相は冒頭発言の中で「リーマン・ショック」との言葉を5回以上使い、世界経済ががはらむリスクについて力説した。

新興国経済が減速する中、先進国でも需要不足によるデフレ圧力が続いていることを踏まえ、「最も懸念されることは世界経済の収縮」と指摘。そのうえで「今そこにあるリスクを客観的に正しく認識しなければならない」とし、ここで対応を誤れば、世界経済が「危機に陥る大きなリスクに直面している」と述べた。

消費増税延期をにおわせたが、判断については明言せず、参院選までに明らかにする考えを示した。

一方、サミットでは中国の鉄鋼過剰供給についても議論が及び、首相はこの問題が「企業収益の悪化や雇用不安など世界経済に大きな影響を与えている」と述べた。

南シナ海情勢に関しては、「海における法の支配の3原則」に基づいて議論を進めることで各国首脳が一致した。

サミットのホスト国としての成果としては、これらの2つの記事からしても、上出来だと思います。大きな要因としては、首相が毎年変わる状態ではなくなり、政権が安定していることと、国際社会に対して一貫した姿勢で取り組み、意思疎通が良好になったということと、主要国の首脳としては安倍首相が一番存在感を示しているといった要因も大きいと思います。これもある意味ではありますが、暗黒の3年3ヶ月というもどかしさもあったとも思うがな。

「東シナ海・南シナ海の状況を懸念」と明記した「伊勢志摩首脳宣言」や、「最も懸念されることは世界経済の収縮」であり、対応を誤れば、世界経済が「危機に陥る大きなリスクに直面している」といったところに踏み込んだ点も重要です。どっちも中国を意識している部分もありますが、中国経済については、いつどれだけの規模でどの範囲で影響を与えるかというのは読めないのも実情なわけです。更に言えば、中国の場合は外交から経済も一緒ですが、ルールなどあってないようなものなわけで、常識の通じない相手というのを理解して、対策を取らないと危険なわけです。リーマンレベルではないという評論もありますが、世界の潮流からしてレジーム・チェンジの時期に入りつつあるわけです。欧州の移民問題や、アメリカのトランプ旋風あたりからしても、世界の潮流の変化は感じる部分があると思います。但し、「振り上げた拳のもって行き場がない」の通り、過ちを認められないというのも真理であることから、対応を間違えると、今後の禍になりかねないといった状況とも思えます。

2016年は決着と清算の年なわけですが、安倍首相の発言もその先の世界というのも想定してシナリオが動いているわけですね。日本の動きというのを俯瞰して見ると、第一次安倍政権から一つの線に繋がってると思ってます。日本国民の手で下した暗黒の3年3ヶ月という時間も、日本国民覚醒のために必要な時間だったのかもしれません。余命ブログについても、今になってみれば、大きなシナリオに組み込まれてたと思えるんだよね。余命ブログ開設は2012年の8月で、安倍さんが自民党総裁になったのが2012年の9月であったことから、日本を取り戻すためのステップとして必要な過程で、余命ブログの極限値の2015年に向けての必要なものだったんだと思います。あくまで妄想ですが・・・(笑)


レジーム・チェンジ関係で、オバマ氏の広島演説の記事を全文引用します。
「10万人を超える魂が話しかけてくる」「8月6日の記憶は決して消えない」「核なき世界を希求する勇気を」-演説詳報

オバマ米大統領は27日夕、広島市の平和記念公園を訪れ、約17分間にわたって演説した。演説内容は以下の通り。

「71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。

閃光と火柱が街を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力を思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの韓国、朝鮮の人々、十数人の米国人捕虜を悼む。その魂が私たちに話しかけてくる。

技術の進展は人間の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。

だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。

惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課し、無言の泣き声に耳を澄ませる。

いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろうが、記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。

われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。しかし、わが国を含むそれらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。

こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨劇の可能性を引き下げる。

1945年8月6日の記憶は決して消えるものではない。

国際社会は戦争を回避するための条約、制度などをつくりあげた。しかし、国家間のあらゆる侵略的行為にみられるように、そうした取り組みは決して終わっていないのだ。

われわれは(核兵器が)新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者に渡るのを防ぐことができる。

しかし、まだそれでは不十分だ。外交を通じた紛争を予防し、戦争に対する者の考え方を変えなければならない。われわれは互いの関係を想像し直す必要がある。

われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気をもたなければいけない。

世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴いことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくにも値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。

広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとして知られるのではなく、倫理を呼び覚ます契機の場とみなされる。そうした未来をわれわれは選び取る」

全文はこちら。

http://www.sankei.com/premium/news/160527/prm1605270008-n1.html

昨年の安倍首相の米議会演説も重要なので紹介します。

米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説 「希望の同盟へ」

これらについては歴史の1ページだと思います。




あと折り鶴の件も素晴らしかったです。
オバマ氏「自分で折った」和紙の折り鶴を持参


オバマ米大統領は27日に広島平和記念資料館(広島市)を視察した際、自ら折った四つの「折り鶴」を持参した。

うち2羽は出迎えた地元小中学生2人に手渡し、残り2羽は、同資料館の芳名録のそばに置いた。

同行した安倍首相が「自分で折ったのか」と尋ねると、オバマ氏は「少し手伝ってもらったが、自分で折った」と応じた。折り鶴は赤色や黄色で、和紙で折ったものだったという。


両国共に過去とも向き合って同じ悲劇を繰り返さないためにも、未来志向の視点で意思を示す必要があったと思いますし、戦後70年の清算という意味では、こういう取り組みは必要だったと思います。恨むことは簡単だけど、未来志向で同じ悲劇を繰り返さないという精神こそが、安倍首相の米議会演説であり、オバマ氏の広島訪問だったと思います。オバマ氏の演説において、「われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの韓国、朝鮮の人々、十数人の米国人捕虜を悼む。その魂が私たちに話しかけてくる。」と精神面に踏み込んだ内容については大いに評価するべきだと思います。日米は誤解を招きやすいのと、フェアな精神という価値観については、形は違えど共有出来る部分なので実現したわけで、こういった本質は見落としてはいけないと思います。

「核兵器のない世界」というのも一種のエゴイズムであるのも事実ですが、核兵器の当事者として、日米が向き合うというのは必要だと思うし、過ちに向き合うというのは、こういった意味もあると思います。因みに過ちにホントに向き合うというのは、非核三原則ではないと言っておきます。これは誤解のないように・・・。