8月15日
今日は玉音放送の日で72年が過ぎました。原点に戻るためにも、必要な1日だと思います。
現代訳だとこんなところですね。
あとは別ソースも紹介します。
今一度、日本人であるなら、この言葉を真剣に受け止めてほしいと思います。どんな思いで宣戦布告を行い、どんな思いで共同宣言に応じたのか。自分が処刑されることも受け入れた上で、これから日本はとてつもない苦難を受けるという言葉と未来へ託す思い・・・。日本人の心が残っているのであれば、この思いは受け継ぐことが日本人としての最低限の条理であると思っております。
ここらへんは特に噛みしめるべきです。未来に託した思いはここにあると思います。
最後の部分は、「汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ」の表現の方がいいと思います。「感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うこと」は最も戒めたいこととありますし、こういった輩を野放しにすることが、玉音放送へ冒涜している行為でもあるわけです。
玉音放送から72年が過ぎたわけですが、自身の命を犠牲にする覚悟を持って発した言葉について、全身全霊で受け止められているとは思えない状況について、深刻に考えるべき1日というのが、8月15日に込められたホントの意味だと思います。決して戦争で失った犠牲の弔いだけではなく、命をかけて未来を託した想いにどのように向き合うべきか。これこそが重要だと思います。国の将来を考えて、日本国民として全力で国難に立ち向かう方法として、戦争という道を選んだわけで、一人の日本人として生きた証であり、そこに戦前も戦後も存在しないと思います。未来に託して自信を持って誇れるような生き方でいれるか??このことを考えるための1日であって欲しいと思います。
現代訳だとこんなところですね。
玉音放送を現代語訳で「耐えられないことにも耐え」【終戦記念日】
世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果、緊急の方法でこの事態を収拾したい。忠実なあなた方臣民に告ぐ。
私は、「共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4カ国に伝えよ」と政府に指示した。
日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に心に持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。
だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。
そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。
私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。
これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。
私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。
国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。
あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。
あとは別ソースも紹介します。
終戦の詔書(口語訳付き)
朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝(なんじ)ら帝国国民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。
そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい)(玉音は「ごない」。五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてなたない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。
朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。
今一度、日本人であるなら、この言葉を真剣に受け止めてほしいと思います。どんな思いで宣戦布告を行い、どんな思いで共同宣言に応じたのか。自分が処刑されることも受け入れた上で、これから日本はとてつもない苦難を受けるという言葉と未来へ託す思い・・・。日本人の心が残っているのであれば、この思いは受け継ぐことが日本人としての最低限の条理であると思っております。
ここらへんは特に噛みしめるべきです。未来に託した思いはここにあると思います。
感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。
国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。
あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。
最後の部分は、「汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ」の表現の方がいいと思います。「感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うこと」は最も戒めたいこととありますし、こういった輩を野放しにすることが、玉音放送へ冒涜している行為でもあるわけです。
玉音放送から72年が過ぎたわけですが、自身の命を犠牲にする覚悟を持って発した言葉について、全身全霊で受け止められているとは思えない状況について、深刻に考えるべき1日というのが、8月15日に込められたホントの意味だと思います。決して戦争で失った犠牲の弔いだけではなく、命をかけて未来を託した想いにどのように向き合うべきか。これこそが重要だと思います。国の将来を考えて、日本国民として全力で国難に立ち向かう方法として、戦争という道を選んだわけで、一人の日本人として生きた証であり、そこに戦前も戦後も存在しないと思います。未来に託して自信を持って誇れるような生き方でいれるか??このことを考えるための1日であって欲しいと思います。