ぱよぱよ雑談~20210816
今日で夏休みも終わったので通常営業に戻ります。 とはいっても、モチベーションは高くないため、記事は短めにしたいとは思っております。
新型コロナ関係はそこまで追う価値もないので適当になりますが、新規陽性反応者数だけが報道されており、よく分かってないかとは思いますが、実効再生産数を追えば、ある程度の傾向が見えてくるかと思います。
因みに東京都だと、1.06となっておりますので、2周間前のピークの1.7に比べると、改善の傾向は見えますので、個人とすれば、三密回避、三密時のマスク、手洗いの徹底を継続するのみですし、不特定多数の人との接触は避けることは基本ですが、家庭内の対策は無理ですので、その場合は仕方なく諦めるなどの割り切りも必要なように思います。
横浜市長選挙の様子。
世論調査を見る限り、与党候補の小此木氏にとっては苦しい展開です。この選挙については、林氏への対応が最後まで影響してきそうな気がします。こういった報道の場合は、名前が先に出た方が優勢なので、後に名前が出た場合は劣勢を意味します。あと1週間となりますが、これを落とすと政局も面倒になるかもしれませんので、きっちりと勝ち切って欲しいと思います。
終戦の日
今日は終戦の日ですが、強いて言えば、「終戦の詔勅」の日といった位置付けですし、終戦記念日という言い方は不適切でしかないようには思います。重要なのは何のために開戦し終戦したのかです。この原点を見失わないようにすることが重要です。
「開戦の詔勅」と「終戦の詔勅」の意味を考える1日というのが適切です。以下のページを引用します。
「開戦の詔勅」
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。
私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、
私の国民はおのおのその本分をつくし、
一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ、
この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。
そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。
まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。
残念なことに(内乱状態にある)中国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。
さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石一味は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
それだけでなく、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、
米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている(ABCD包囲網)。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。
ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
御名御璽
昭和16年12月8日
「終戦の詔勅」
朕は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと考え、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
朕は、帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。
そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、朕はそれをつねづね心がけてきた。
先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより朕の志すところではない。
しかるに、交戦状態はすでに4年を過ぎ、朕の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、朕のすべての官僚役人の精勤と励行、朕の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
以上が、朕が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
朕は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。
帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、朕の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。
かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、朕の心より深く憂うるところである。
思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。
汝ら臣民の真情も、朕はよく知っている。
しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
朕はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。
もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、朕のもっとも戒めるところである。
そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、
持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじて、志操を堅固に保ち、
誓って国体の精髄と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。
汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体せよ。
御名御璽
昭和20年8月14日
開戦の詔勅を見れば、元々は「内乱状態にあった中国の安定や、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事」が、明治天皇や大正天皇の構想であって、「各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすること」に繋がっております。大日本帝国は自国を犠牲にしてでも、構想を実現することを目的に動いていたわけです。
それを邪魔したのが、米英(所謂金融筋)であって、植民地といった人権侵害を前提とした帝国主義という利権と戦ったのが、大東亜戦争で戦ったホントの意味ともいえます。ABCD包囲網というのも、利権を維持するために抵抗勢力とされる大日本帝国を潰すといった意味ですし、所謂共産主義というのも、貴族とされる連中の利権を維持するための構想であって、第二次世界大戦というのは、貴族の構想というのに敗戦したというのが本質ともいえます。民主化というのは、一種のミスリードとも言えるかもしれません。
天皇陛下のおことばについても、歴史の延長線でもあっての内容だと思います。
主な式典におけるおことば(令和3年):天皇陛下のおことば - 宮内庁
全国戦没者追悼式
令和3年8月15日(日)(日本武道館)
本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来76年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。
私たちは今,新型コロナウイルス感染症の厳しい感染状況による新たな試練に直面していますが,私たち皆がなお一層心を一つにし,力を合わせてこの困難を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
ここに,戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
重要なのは、終戦の詔勅の「事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、朕のもっとも戒めるところ」の部分です。この言葉今も同じで、コロナ禍においても、「私たち皆がなお一層心を一つにし,力を合わせてこの困難を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていく」というのが重要だと思います。
菅首相の式辞です。
令和3年8月15日 令和3年度全国戦没者追悼式総理大臣式辞 | 首相官邸ホームページ
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄における地上戦など、戦乱の渦に巻き込まれ犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊(たっと)い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として歩んでまいりました。世界の誰もが、平和で、心豊かに暮らせる世の中を実現するため、力の限りを尽くしてまいりました。
戦争の惨禍を、二度と繰り返さない、この信念をこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせながら、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今なお、感染拡大が続く新型コロナウイルス感染症を克服し、一日も早く安心とにぎわいのある日常を取り戻し、そして、この国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。
終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
重要なのは、「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであること」といった部分だと思います。最も下らない記事を書いてますが、大東亜戦争は「開戦の詔勅」の通り、東アジアの安定のために戦ったものであり、アジア諸国への加害と反省について言及するなら筋違いな話です。
これは夏の風物詩ともなってますねw戦後レジームからの脱却をしない限りはこのイベは続くようには思います。最近は風物詩化しており、何の影響もなくなったのは改善の兆しではあるように思います。
原点を理解した上で、党の談話を見てみるのもいいでしょうが、二度と戦争の惨禍が繰り返されぬように、日本が何をするべきかが重要なようには思います。
アフガニスタンの件
記事を紹介します。
概要は以下を見るのがいいと思います。
有事の緊迫感のない報道あたりからみても、この件は別の意味でのきな臭さを感じます。過去記事を紹介します。「米とタリバン、アフガン和平合意について」の項目となります。
アフガニスタンの撤退については、バイデン政権の決定となり、ここらへんが背景になっているとも言えます。恐らく、こうなることを予測して意図的に撤退した可能性が高いように思います。
あとはこの辺も関係しているでしょう。
タリバンについてです。
関連勢力として重要になるのは、イランと中国になると思われます。記事を紹介します。
あとは以下の記事を紹介します。
タリバンというか、アフガニスタンを語る上で麻薬は重要な要素となります。上記記事にも以下のように書かれております。タリバンのWikipediaの資金の項目より。
ターリバーンは麻薬や鉱物の販売、外国からの寄付、市民からの徴税により多額の収入を得ている。一説によると2011年の収入は3億~5億米ドルに達し、そのうちケシ栽培による収入は約1億ドルと言われている[57]。ターリバーンは2017年頃からヘロインの生産も開始し、現在はターリバーンの収入の半分(4億ドル)が麻薬の生産と輸出によるものという説もある。
記事も紹介します。
あとはこちらも紹介します。
あと気になる外務省の基礎データ。この薬草って??まさかとは思いますがwww
7 主要貿易品
(輸出) ドライフルーツ(35%)、薬草(15%)、果物(11%)、鉱物(11%)、野菜(8%)等(2018年 アフガニスタン統計年鑑)
(輸入) 食品(31%)、石油(13%)、機械類(11%)、金属類(8%)等(同上)
タリバンの急進撃の背景というのは、バイデン政権はオバマ政権時代に戻すことなので、中東情勢の不安定化させて火種を撒くといった歴代のアメリカのやり方に戻すことを意味します。そういった意味では敵対勢力のイラン(革命防衛隊)や中国共産党にとって利益になることをやることを意味するわけで、この辺の情勢を見る上では、米民主党の中東への伝統的な対応(クリントン・オバマ時代を参考)あたりが参考になると思われます。