本日はセルビアとコソボの件となります。

セルビア・コソボ経済正常化について


【ワシントン=中村亮、ベルリン=石川潤】米ホワイトハウスは4日、旧ユーゴスラビアのセルビアとコソボが経済関係の正常化に合意したと発表した。コソボは2008年に独立を一方的に宣言したとしてセルビアと対立してきた経緯があり、経済をテコに外交関係の改善をめざす。

トランプ大統領は4日、ホワイトハウスでセルビアのブチッチ大統領、コソボのホティ首相と3者会談に臨み、経済関係の正常化に向けた文書の署名式を開いた。ホワイトハウスは声明で「両国はさまざまな分野での経済協力を真の意味で進展させることができた」と指摘したが、具体的な協力分野には触れなかった。

声明は「両国はバルカン半島を安全にした」とも強調した。バルカンは「欧州の火薬庫」ともいわれ、長年にわたり政情不安が続いていた。

ホワイトハウスによると、コソボはイスラエルと国交を樹立し、セルビアは在イスラエル大使館をエルサレムに移す方針も示したという。トランプ氏は8月にもイスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)の国交正常化合意を仲介した。和平実現を外交の成果として大統領再選を狙う。

アルバニア系住民の多いコソボはセルビアの自治州だったが、1万人が死亡したとされる1998~99年の紛争を経て、2008年に独立を宣言した。だが、セルビアは独立を認めておらず、ロシアなどの協力を得てコソボの国連加盟を阻止し続けてきた。紛争の傷痕もいまだ癒えず、関係正常化に向けた交渉は行き詰まっていた。

そんな両国が再び交渉のテーブルについたのは、関係正常化が欧州連合(EU)加盟の条件となっているためだ。7月にはセルビアのブチッチ氏、コソボのホティ氏がEUを仲介役として首脳会談に臨み、週明けにもブリュッセルで2回目の会談を開くとみられていた。

関係正常化は両国の経済発展に道を開く。だが、このまますんなりと交渉が進んでいくかはかなり不透明だ。コソボは「セルビアのエルサレム」とも呼ばれるセルビア正教の聖地だ。ブチッチ氏は野党がボイコットした総選挙で圧勝したばかりだが、簡単に譲歩すれば自らの政治生命を危険にさらしかねない。

経済協力や紛争当時の行方不明者の捜索といった分野以外を含めて交渉を進めていくための信頼関係をどう醸成していくのか。米国とEUが仲介の主導権争いを続けるようであれば、先の道のりはさらに険しくなる。
関連記事です。
セルビアとコソボの件です。旧ユーゴスラビアのセルビアとコソボが経済関係の正常化に合意したとのことです。今年の1月にセルビアとコソボの直行便を再開しており、経済関係の正常化には向けて動いておりましたので、ある程度の内容が纏まったものと思われます。


本件に関するホワイトハウスの記事です。
Google翻訳は以下となります。
本日、私はさらにもう1つの歴史的な取り組みを発表できることを嬉しく思います。セルビアとコソボはそれぞれ経済の正常化に取り組んできました。暴力的で悲劇的な歴史と何年もの交渉の失敗の後、私の主管庁は分断を埋める新しい方法を提案しました。雇用の創出と経済成長に焦点を当てることで、両国は幅広い問題にわたって経済協力において真のブレークスルーを達成することができました。

また、中東和平への取り組みについても進展を見せています。コソボとイスラエルは、関係の正常化と外交関係の樹立に合意した。セルビアは今月エルサレムに営業所を開設し、7月までに大使館をエルサレムに移転することを約束しました。

セルビアのブチッチ大統領とコソボのホティ首相がこれらの会談に乗り出し、ワシントンに来てこれらの約束を完了するために多大な勇気を必要としました。そうすることで、彼らは彼らの国々、バルカン諸国、そして世界をより安全にしました。今後、この地域での経済協力に取り組むセルビアとコソボが繁栄することを楽しみにしています。

この件については、イスラエルとも関連しているようですね。


また、イスラム教徒が人口の大半を占めるコソボがイスラエルと外交関係を樹立することや、セルビアがエルサレムに大使館を移設すること、両国の間で高速道路の建設などインフラ事業を進め、アメリカが投資することなどが含まれてるようです。

またAFPの記事に、トランプ氏が「雇用創出と経済成長に焦点を当てることで、両国は幅広い問題にわたる経済協力について、実に画期的な合意に至ることができた」と書いておりますが、重要なのは雇用と経済成長で、経済を通じて安定することが重要であり、基本的に投資などを通じて、経済を通じて地域を安定させることを重視しているみたいです。

ここらへんは、コロナ禍の経済対策でも同じなのですが、人に出すか事業にお金を出すという意味も含まれており、GoTo事業などが分かりやすい一例と思います。
経済が回れば、他のところにも波及するわけでして、地域が安定すればするほど不法難民等の要因も下がることから、難民対策として一番効果的なのは、地域経済の安定と雇用に尽きるわけです。そういった意味だと、人にお金を出しても、問題は解決しませんし、利権として残るというのも基本ともいえます。

セルビア・コソボ問題の背景について

この件を理解する上で、背景を知る必要がありますが、結構ややこしいですので、適当に資料でも投げておきます。

まずは地図を紹介します。


基礎データを紹介します。

○セルビア


○コソボ


簡単な歴史に関する内容は以下となります。



あとはWikipediaで適当に・・・。





あとは興味があればこのへんも・・・。





以下の記事を紹介します。

ユーゴスラビア崩壊とコソボ問題

セルビアとコソボはいずれも、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成していた。1980年にチトー大統領が死去した後、民族対立が激化し、冷戦崩壊後から徐々に解体が進んだ。セルビアは、最後まで同共和国に残っていたモンテネグロとともに社会主義を放棄して1992年に「ユーゴスラビア連邦共和国」となったが、2003年には同連邦も解体、その後緩やかな国家連合「セルビア・モンテネグロ」となり、さらに2006年に住民投票の結果、モンテネグロが独立したことから、セルビアも国家連合からの独立を宣言した。その間、アルバニアおよびマケドニアと国境を接しているセルビア南部のコソボ地方ではセルビア人とアルバニア人の民族対立があり、コソボは2008年に独立を宣言、米国、英国、フランスなど多くの国がコソボ独立を承認した。

コソボ問題は、1990年代後半のセルビア(当時はユーゴスラビア連邦共和国)とコソボ解放軍(KLA)との紛争の停戦協定として1999年に採択された「国連安全保障理事会決議1244」において、コソボ地方におけるセルビアの主権や領土保全が確認されていたにもかかわらず、国際社会がコソボの独立を承認したことに端を発しているといわれる。ただし、2010年に国際司法裁判所(ICJ)は「コソボの一方的な独立宣言は違法とはいえない」旨の判断をしている。
現在のコソボについて紹介します。


この2枚の写真がwww




この写真はさておき、コソボ問題において、重要なのがコソボ解放軍の存在となります。

コソボ解放軍のWikipediaより。
外国からの支援
1996年、イギリスの週刊誌ザ・ユーロピアン(The European)は、フランスの専門家の次のような指摘を記事として掲載した。

ドイツの市民と軍事情報組織が、この反乱組織の訓練と装備強化に関与している。その目的は、バルカン半島地域にドイツの影響力を拡大することである。(…)コソボ解放軍は1996年に誕生し、ハンスイェールク・ガイガー(Hansjoerg Geiger)がBND(BND)のトップに就任した時期と重なる。BNDの人員らは、コソボ解放軍の首脳部のために、50万人のアルバニアのコソボ出身者から戦闘員を募る仕事に携わっている。
ドイツ議会の元相談役であるマティアス・キュンツェル(Matthias Küntzel)は後に、ドイツの秘密外交は、コソボ解放軍をその誕生の時から組織的に支援していたとの証明を試みた。

ジェームス・ビセット(James Bissett)は1990年の時点でユーゴスラビア、ブルガリア、およびアルバニアの大使であり、辞職後に、ロシア政府が新しい出入国管理機関を設立するのを援助するモスクワの国際機構の首班の地位についた。ビセットは、「1998年以来、中央情報局1はイギリス特殊武装隊の支援の下、コソボでの武装反乱を支援する目的でアルバニアでコソボ解放軍の兵士を訓練し武装支援していた。(…)NATOが介入するとき、希望はコソボの側にある」と書いている。コソボ解放軍の代表者ティム・ユダフ(Tim Judah)によると、ユダフはは1996年あるいはそれ以前の時点で既にアメリカ合衆国、イギリス、スイスの情報機関の職員と接触している。ザ・サンデー・タイムズ(The Sunday Times)によると、アメリカの情報機関のエージェントらはNATOがユーゴスラビア空爆を始める前からコソボ解放軍の訓練に携わっていた。
ここの地点でお察し案件とは思いますが、こんな情報もあるようですw

●空爆のポイントを教えたKLA

 コソボ国境に近いアルバニア北部の山中には、KLAの軍事訓練所が作られた。そこには、NATOの正規軍こそいなかったが、アメリカ、ヨーロッパ諸国、イスラエルから、「民間」の軍事訓練専門家たちが雇われて来ていた。KLAと同じ民族であるアルバニアの軍隊も、将校を派遣していた。

 KLAの軍事訓練や、武器調達に必要な資金は、出稼ぎなどで欧米に住んでいるアルバニア系の人々からの募金でまかなわれていた。KLAは、5000万-1億ドル(60億―120億円)もの軍資金を集めたと推定される。

 ルービンのタチに対する接近のしかたからみて、KLAが集めた金の中には、アメリカの政府筋の意志で、「民間」を装い、在米アルバニア人を経由して提供されたものが、かなり含まれていた可能性が強い。

 真偽のほどは不明だが、裏でジョージ・ソロスが資金援助していたとか、KLAは中央アジアからトルコ、ブルガリア、マケドニア、アルバニアを通って西欧に持ち込まれる麻薬密輸ルートに介在し、巨額の資金を作っていたとかいう情報もある。

 アルバニアは失業率が高いこともあり、巨額の資金は、多数の「志願兵」を呼び込む効果もあった。欧米在住のアルバニア系の人々も志願し、KLAは短期間に2万人の兵士を抱えるまでになった。

 KLAは、NATOの側からの非公式な軍事強化策を受けても、まだセルビア軍と互角に戦える力は持っていなかった。その代わりKLAは、セルビア軍のどの部隊が、どのように移動し、NATOの空爆から逃れるために、どこに潜んでいるか、といった状況を、アメリカに伝えてきた。そしてこれが、NATO空爆の攻撃先を決める際、役に立った。

 アメリカはKLA側に携帯電話をたくさん渡し、戦線の兵士が見聞きした、敵軍に関する情報を、アルバニア北部に作られたKLAの拠点に伝え、それをタチが一括してルービンに報告する、という情報ルートが作られた。
あとこの記事も紹介します。


ここに書かれている「闇の権力」というのも一つのポイントとなります。

以下の記事も興味深いです。

セルビア人拉致と臓器売買

 驚くべき真相が明らかになったのは、08年の春のことであった。一冊の本が出版されたのである。『La Cassia : Io E I Criminali Dl Guerra(追跡 私と戦争犯罪人)』、著者はICTY(旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷)の検事を務めたカルラ・デル・ポンテである。ユーゴ紛争における戦争犯罪を捜査し、訴追し続けてきた任務をまとめた回顧録である。著書の中でデル・ポンテは、1999年ごろのこととして、KLAがコソボで拉致したセルビア人など約300人をトラックに乗せて国境を越え、アルバニア北部のブーレルという町周辺にある幾つかの拘束用の建物に監禁した後、簡易外科医院として整備された施設・通称「黄色い家」に連れ込んで内臓器官を摘出し、外国の富裕層の患者に密売していたという証言と証拠があった、と報告したのである。

「この情報源の一人はコソボのアルバニア人だが、彼自身が摘出した臓器を(アルバニアの首都の)ティラナ・リナス空港まで搬送したことを証言した。腎臓を一つだけ取られた被害者は、傷口を縫われ、再び拘置小屋に戻されたが、すぐに重要臓器の摘出が原因で命を落とした。それで小屋にいた他の拉致被害者も自分たちにどのような運命が待っているかを自覚しておびえきり、中にはすぐに殺してくれるように懇願した者もいたという。また他の二人の情報提供者はこうして殺された遺体を近くの墓地に埋めるのを手伝っていたと証言している。臓器の密輸はKLAの幹部が積極的に関わっていたのである」(『La Cassia Io E I Criminali Dl Guerra』より、2013年8月、実川元子訳)

 1999年当時、国連統治下のコソボ共和国政府の首相はこのKLAの司令官であったハシム・タチであり、まさに首相自らが関与していた可能性を暗に指摘している。さらにデル・ポンテは実際にアルバニアに出向いて、「黄色い家」の捜査を行なうが、UNMIKなどの国際機関、およびアルバニア検察局がこの捜査に対して極めて非協力的であったことを伝えている。
 このことは三つの大罪を伝えている。国連統治期に非戦闘員を拉致殺害し、それに政府関係者が関与していた疑いがあるという国家犯罪、次に被害者の臓器摘出をして国外に密売していたという組織犯罪、そしてコソボ紛争の戦争当事国ではなかった本国アルバニア(コソボのアルバニア人は本国=home countryという言葉を往々にして使う)に運ばれて行なわれたという国際犯罪である。
この記事によると、KLA幹部が臓器の密輸に積極的に関わってきたこととあります。その点ではコソボを通じて、何をやってきたかとなりますが、ジョージ・ソロスや麻薬密輸ルートなどの話も出てきてますが、所謂国際問題とされているもののルーツというのは、臓器や麻薬の密輸などの問題、人権問題などが含まれており、問題の背景とされているものが、同じ糸で繋がっている可能性を示唆しております。

コソボ問題については、元々問題を抱えてたのはありますが、ここ20年以上の問題については、意図的に作られた可能性が高いということは分かると思います。バルカンは「欧州の火薬庫」とも言われておりますが、今回の件との関連性は不明な部分もあります。

1万人が死亡したとされる1998~99年の紛争というのがどのように起こされていたのか、背後の勢力と思惑なども重要となってきますが、今回の経済正常化において、具体的に何が起きており、何を正常化しようとしているのかというのが重要になると思います。