今日は終戦の日となります。終戦記念日だと何を記念するのかぼやけてくるのですが、玉音放送という意味合いでは重要だと思いますが、決して敗戦を記念する日ではないということは言っておきたいです。

過去エントリを紹介。

8月15日-ぱよぱよ日記

玉音放送についてはWikipediaも併せて紹介します。

玉音放送 - Wikipedia

終戦の詔勅についてです。



現代語訳は以下となります。
玉音放送を現代語訳で「耐えられないことにも耐え」【終戦記念日】 | ハフポスト

世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果、緊急の方法でこの事態を収拾したい。忠実なあなた方臣民に告ぐ。

私は、「共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4カ国に伝えよ」と政府に指示した。

日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に心に持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。

だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。

そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。

私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。

これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。

私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。

国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。

あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。
過去エントリに書いたけど、「今一度、日本人であるなら、この言葉を真剣に受け止めてほしいと思います。どんな思いで宣戦布告を行い、どんな思いで共同宣言に応じたのか。自分が処刑されることも受け入れた上で、これから日本はとてつもない苦難を受けるという言葉と未来へ託す思い・・・。日本人の心が残っているのであれば、この思いは受け継ぐことが日本人としての最低限の条理である」と思っております。

因みにそれを冒涜したのが、あいちトリエンナーレとも言えるし、場合によっては開催期間にこんなのを展示されてた可能性もあるわけで、これを主張した連中や容認した連中は、「日本人としての最低限の条理」というのを踏み外したということも併せて言っておきますのであしからず・・・。

あとは「開戦の詔勅」についても触れておきます。当時の国際情勢も見えてくるわけですが、資料が少ないところに危惧を覚える部分でもあります。内容は以下となります。



以下の記事を紹介します。

太平洋戦争・開戦の詔勅


現代訳は以下の記事。
ねずさんのひとりごと 終戦の詔勅、開戦の詔勅

私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。

私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、
私の国民はおのおのその本分をつくし、
一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ、
この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。

そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。

今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。
残念なことに(内乱状態にある)中国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石一味は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

それだけでなく、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、

米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている(ABCD包囲網)。

このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

御名御璽
昭和16年12月8日
開戦の詔勅を見れば、元々は「内乱状態にあった中国の安定や、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事」が、明治天皇や大正天皇の構想であって、「各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすること」に繋がっております。大日本帝国は自国を犠牲にしてでも、構想を実現することを目的に動いていたわけです。

それを邪魔したのが、米英(所謂金融筋)であって、植民地といった人権侵害を前提とした帝国主義という利権と戦ったのが、大東亜戦争で戦ったホントの意味ともいえます。ABCD包囲網というのも、利権を維持するために抵抗勢力とされる大日本帝国を潰すといった意味ですし、所謂共産主義というのも、貴族とされる連中の利権を維持するための構想であって、第二次世界大戦というのは、貴族の構想というのに敗戦したというのが本質ともいえます。民主化というのは、一種のミスリードとも言えるかもしれませんね。


大東亜戦争の本質については、今一度振り返るべきです。

最後の部分は、「汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ」の表現の方がいいと思います。「感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うこと」は最も戒めたいこととありますし、こういった輩を野放しにすることが、玉音放送へ冒涜している行為でもあるわけです。

最後に玉音放送についてですが、自身の命を犠牲にする覚悟を持って発した言葉について、全身全霊で受け止められているとは思えない状況について、真剣に考えるべき1日というのが、8月15日に込められたホントの意味だと思います。戦争で失った犠牲の弔いだけではなく、命をかけて未来を託した想いにどのように向き合うべきか。これこそが重要だと思います。国の将来を考えて、日本国民として全力で国難に立ち向かう方法として、戦争という道を選んだわけですが、一人の日本人として生きた証であり、そこに戦前も戦後も存在しないと思います。その精神を冒涜する連中は許せないし、「道を外し、世界からの信用を失うこと」について考えるための日とも言えます。