ここのブログのタイトルは適当なことが多いが、今回もそんな話題ですw

今回はLGBT関係です。
自民・杉田水脈衆院議員に殺害予告 被害届を提出 寄稿論文と関係か - 産経ニュース

 自民党の杉田水脈(みお)衆院議員(51)に対し、ゲイを自称する人物から殺害を予告するメールが届いていたことが23日、分かった。杉田氏は23日、警視庁に被害届を提出し、自身のツイッターで殺害予告があったことを明らかにした。殺害予告は、杉田氏が月刊誌に寄稿したLGBT(性的少数者)に関する論文と関係している可能性がある。

 杉田氏のツイッターによると、「先日、自分はゲイだと名乗る人間」から、杉田氏の事務所に「お前を殺してやる!絶対に殺してやる!」と書かれたメールが届いた。これを受けて杉田氏は23日、赤坂警察署(東京都港区)に被害届を出した。

 杉田氏は18日発売の月刊誌「新潮45」(8月号)に寄稿した論文で、LGBTをめぐる報道に関して持論を述べたが、杉田氏の主張は批判を招き、ネット上は“炎上”した。

 また、杉田氏の論文をめぐっては、立憲民主党の尾辻かな子衆院議員が18日、自身のツイッターで、新潮45の記事の写真計3枚を掲載して取り上げていた。

 関係者によると、殺害予告メールが届いたのは、19日以降だという。
杉田議員のLGBTに関する論文というか、月刊誌の記事に寄稿したことで、殺害予告メールが届いた件となります。該当の記事の画像はこちら。


個人的に杉田議員については政治家というより、評論家という意味合いで評価している部分があるし、政治家として出した論文については、不適切という認識だと思っています。以前にも、BBCの動く慰安婦像の件での軽率な対応を含め、評論としてはありですが、政治家としては微妙な部分もあるので複雑なのが本音です。

とはいえ、政治家の論理だけで世論が動くとは思わないし、党内だったり国会の議論において、評論家的要素が必要であるのは事実ですし、今の日本にはこういった議員が必要というのはあるのも否定はしません。最も、それ以上に議論の邪魔にしかならない議員だらけの現状で、マトモな野党が実質存在しない(維新は評価が分かれると思いますが・・・)ので、本来やるべき野党の機能を自民党に持たせないといけないというのが現実ですし、本当の党内野党としての存在は、杉田議員や青山議員あたりに求められてるわけです。

因みに石破議員とか小泉議員とか野田議員とか村上議員でも何でもいいのですが、こんなのが党内野党ではないし、ただの誹謗中傷してるだけですよwww批判するにしても、事実に基づいた批判など全くやっていませんし、マスコミに煽動されてるだけの批判に何の生産性などありませんし、政策として落とし込むような話ですらないです(笑)

日本の政治家というのは、日本をよくするために、抱えている問題を立法の観点で法案に落とし込むのと、国の政策を実行に移すために必要な予算を決議することが本来の役割となるわけです。立法にするためには世論の力も必要ですし、誤った前提で対策を取られても、逆効果でしかないし迷惑な話でしかない以上、政治家としてやるべき仕事として、立法のために必要な交通整理を行うという役割も重要ともいえます。

国が予算を投じて何かをやるというのは、ある程度の国益というのは必要だし、予算を投じるということは、その内容について国民の理解が必要なわけで、国民の理解を得るためには、いろんな意見から世論を作り上げるという過程が重要となります。理解の得られない政策を強行すれば、国民の支持は得られないし、選挙の洗礼を受けるというのが、民主主義としての機能ともいえます。


長くなりましたが、政治の大前提についてはこんなところだと思います。この点を踏まえて、LGBTについての議論が必要だと思います。

まずはLGBTについてです。コトバンクから紹介。
LGBT(えるじーびーてぃー)とは - コトバンク

性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称であり、他の性的少数者は含まない。1970年代には主にゲイが法的権利獲得や差別撤廃などを求めて「プライド」などと称されるパレード他の活動を始め、次第に4者が合流して全世界に活動が広まった。世界最大規模のブラジル「サンパウロ・ゲイ・プライドパレード」では、2009年に推計320万人が参加しており、日本でも各都市で大規模なパレードが開催されている。13年現在、同性結婚を認めた国は約20カ国にのぼり、14年4月15日にはインドで「第三の性」(トランスジェンダー)を法的に認める最高裁の判決が出された。
ここで前提となるのは、LGBTの歴史について触れる必要があります。

LGBT - Wikipedia

LGBT史年表 - Wikipedia

LGBTのWikipediaより。
このLGBTという概念が、「モントリオール宣言」や「ジョグジャカルタ原則」など国際機関において用いられるようになった理由としては、一つに、これらの当事者とりわけトランスジェンダーの数が少ないため単独で公的に人権問題として扱われにくかったことがあり、さらに同性愛、両性愛、トランスジェンダーはそれぞれ深刻な差別や殺害も含む迫害を受けてきたにも拘らず、不当な偏見やスティグマからそれらが公式に問題視されず、実態が報告されることも妨げられてきたことにおいて共通することが考えられる。
何故、LGBTの概念が出来たかといえば、日本の問題ではないのですが、宗教的要因で同性愛が迫害されてきた歴史があったことに起因しているわけです。両性愛やトランスジェンダーというのは、同性愛から分離した概念であって、同性愛の迫害といった人権侵害に関して、国際機関で用いられてた概念であって、個別の要因よりも、人権侵害に関する取り組みで後付でLGBTといった概念に纏められた経緯といったところになると思います。

日本でLGBTの議論をする上で、迫害があるかといったところが重要な部分ではありますが、実際問題、日本において同性愛者を迫害しようというような動きにはなってないし、お察しください。。。といったところで、一定の許容はしていると思います。そういう意味では、法的権利の範囲がどこにあるのかという線引は必要ともいえます。

ここで難しい問題として、同性愛者と両性愛者というのは、嗜好である可能性があるのと、トランスジェンダーというのは、「身体の性と心の性が一致」に関する問題で、性質的には異なると思いますがね。そういう意味では、民間企業においては自由にすればいいと思うけど、前者には嗜好も含まれることから、同一の考え方は出来ないのも事実で、生産性という観点で議論というのも、少し違うような気がします。


LGBTと政策の観点において、迫害しないというのは当然として、法的権利の範囲がどの程度認めるべきかというのが、政策面で行うべき議論であって、その上で予算というのが存在するともいえます。嗜好と心の部分で一緒に整理するのも、国の政策として落とし込むのは出来ないのは事実だからこそ、どのような形で落とし所を作るかという議論が必要になります。民間の活動については制約してはいけないし、特定対象について迫害することは何らかの犯罪に抵触することになります。そういう意味では、現行法の範囲と世論的には問題があるとは思いませんし、具体的に法的権利でどの程度まで認めるべきかというのを具体的に提示しないと議論にならないと思います。これが出せないなら、何らかの利権狙いの動きとみていいでしょうし、利権化の動きが顕著だと、本来の議論から遠ざける話になるし、活動家以外誰も幸せにはなれないと思います(笑)

最後に今回のテーマソングを紹介して締めとさせていただきますww