新潮45休刊の件
新潮45休刊の件についてです。記事を紹介します。
まずは以下に触れておきます。
l.g.B・T|ぱよぱよ日記
ただでさえ反日活動家が食い物にしようとしている話題で、更には杉田議員は科研費や慰安婦界隈、関西生コン、西早稲田界隈などに関する問題提起していて、いろんな意味で反日勢力にとって都合の悪いので、何かを理由に失脚させたいと思って餌を待ってるような状態ともいえます。以下のツイートを紹介します。
科研費めぐり杉田水脈衆院議員らと山口二郎・法政大教授がバトル 6億円近い交付指摘に山口氏「根拠ない言いがかり」「学者の萎縮が狙い」(1/4ページ) - 産経ニュース
自民党所属の議員なら、多くの議員が失言問題で取り沙汰されて失脚してるわけで、自民党の議員としてのこういった手口については知った上で、寄稿するべきでしたし、そもそもこういった連中に議論などを行うつもりも更々なく、正論どころか話すら通用しない連中です。現状からして、正面突破は厳しい案件なだけに評論家ならばいいのですが、政治家となれば話は別です。
結局は「生産性」といったパワーワードが先行して、こういった連中に餌を与えたことが全ての問題ですし、こういったテーマを掲載した新潮側のミスであるのは事実です。全体を読んだ印象として、「生産性」に触れる必要はないですし、行政による過度の支援について問題視するだけであれば、反論の切り口が厳しくなっただけに残念です。
その後の10月号の小川榮太郎氏の寄稿について問題となってたみたいなので、これについては、sasuke氏の記事で全文を紹介してますので紹介します。
新潮45 小川論文はそんなにおかしいか - 日本奪還
一部の表現だけを見て叩かれるといういつもの構図ですが、こういった状況での反論としては敵に餌を与える行為で、火に油を注ぐ行為ともいえますし、論文全体の趣旨については一定の理解は出来ますが、それ以上でもそれ以下でもないと思います。
実際問題、「ここ数年、部数低迷に直面し」とあるし、発行部数を見る限り、2018年4~6月の平均で、16,800部となっております。10年前の2018年4~6月の平均だと、42,833部となっております。
雑誌の発行部数については、日本雑誌協会のHPより確認が出来ます。
https://www.j-magazine.or.jp/user/printed/index
週刊文春と週刊新潮だとこんな感じ。
・週刊文春
2008.4~6:766,667
2018.4~6:613,087
・週刊新潮
2008.4~6:719,213
2018.4~6:423,539
結構データを取ると面白いのですが、ここ10年でも雑誌の発行部数は軒並み低迷しております。それでも2万部以下の雑誌を発行するのも、「手記、日記、伝記などのノンフィクションや多様なオピニオンを掲載する月刊誌として、言論活動を続けてきた」というのも、利益抜きに言論活動を行う上で重要な役割を果たしていたともいえるし、今回の社長声明だったり休刊の判断は、新潮社の商業的な観点からは致し方ないことは理解できます。
とはいえ、多様なオピニオンを掲載という意味では、休刊するにしてもある程度戦うべきだったとは思っています。以下の記事を紹介します。
『新潮45』が休刊へ… → ネット「何ですぐに屈するかな!?」「この程度の事で、休刊するぐらいなら、最初からやるな!」
本来であれば、多様な意見を紹介して言論で戦うべきだと思いますが、相手が言論弾圧を目的としている連中が紛れ込んでいる以上、戦い方もあるようには思いますし、新潮は新潮なりに戦ってました。
週刊新潮の「LGBTの運動が左翼に利用されたいきさつを暴露した記事」が話題に。 - Togetter
一部のLGBT活動家の所業のせいで他のまともな人達も肩身の狭い思いをするという話 - Togetter
実際問題、一部のLGBT活動家のせいでLGBTについて議論が出来ない状態になっているともいえます。これはこのツイートが本質だと思います。
SELDSの デモの動きから、改めて「小林よしのり 脱正義論」を 紹介します。 - Togetter
脱正義論を紹介します。
新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論 | 小林 よしのり |本 | 通販 | Amazon
小林よしのり氏のピークであり、作家として死んだ作品とも言えますが、ブログ主の価値観としての個の一つの要素を確立するためのきっかけとなった作品であったことのもあって、今の変節を見ても、小林よしのり氏を否定する気にはなれないです。断片的なものを見て否定するのは簡単ですが、人を否定するためには、その為の生き様そのものを見ないと否定は出来ない性格ですし、何か光るものがあれば、そこに人の価値というのを見出だせるんだよね。だからこそ、今の所謂保守界隈として評判のよくない西田昌司氏についても、否定的なことを書いてない理由ともいえます。一番苦しい状況で、前面に立って戦えるかということが出来る人は尊敬出来ますね。自分にはない要素なだけに・・・。
脱線しましたが、言論で戦うということはブログ主も経験はありますが、いろんなところからの誹謗中傷だったり、爆破予告などから戦わないといけないというのもありますし、戦う次元において一定の覚悟は必要なのはありますね。自分の場合は、継続することを目的としてますが・・・(苦笑)
ここで政治犯について触れておきます。
実際問題、こういった類については犯罪要件を満たしていても、警察は動いてくれないのも事実ですし、証拠を固めたとしても、警察が動くかは懐疑的です。悪質なクレームの類にしてもそうだし、学内自治も弁護士自治も一緒ではありますが、取り締まらない犯罪は犯罪ではありませんし、収拾がつかない状況になってるようにも思います。暗黙の治外法権こそが、言論弾圧の根拠の一つになってるし、あらゆる特権の根拠となっているともいえます。
「新潮45」が休刊 「このような事態招き、おわび」と新潮社 - 産経ニュース
性的少数者(LGBT)への表現が差別的だとして批判を受けている月刊誌「新潮45」の特集を巡り、同誌を出版する新潮社は25日、同誌を休刊すると発表した。
同誌は8月号でLGBT支援を疑問視する杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿を掲載。批判が相次ぎ、10月号の特集で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題し、評論家ら7人の寄稿を掲載した。その後、10月号の特集について「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」とする佐藤隆信社長の談話を発表した。
新潮社は「ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、『あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現』(21日の佐藤社長の声明)を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについておわび致します」と説明。さらに「会社として十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました」としている。
「新潮45」は昭和60年に創刊し、手記、日記、伝記などのノンフィクションや多様なオピニオンを掲載する月刊誌として、言論活動を続けてきた。
まずは以下に触れておきます。
杉田議員と小川榮太郎氏の寄稿について
一連の寄稿に関する見解は以下となります。LGBTについては、過去記事を紹介します。l.g.B・T|ぱよぱよ日記
ただでさえ反日活動家が食い物にしようとしている話題で、更には杉田議員は科研費や慰安婦界隈、関西生コン、西早稲田界隈などに関する問題提起していて、いろんな意味で反日勢力にとって都合の悪いので、何かを理由に失脚させたいと思って餌を待ってるような状態ともいえます。以下のツイートを紹介します。
あとはこちらの記事も。辻元清美氏、関西生コン、辛淑玉氏、のりこえネット、反基地運動、部落解放同盟、在日、西早稲田…全部繋がっています。テレビや新聞などのマスコミが一切報道しないことを書きました。このレポートをそのまま産経新聞が掲載してくださいました。これは大きな一歩です。でも、今日から身辺気をつけよう https://t.co/XSjZIJtqcf— 杉田 水脈 (@miosugita) 2017年4月1日
科研費めぐり杉田水脈衆院議員らと山口二郎・法政大教授がバトル 6億円近い交付指摘に山口氏「根拠ない言いがかり」「学者の萎縮が狙い」(1/4ページ) - 産経ニュース
自民党所属の議員なら、多くの議員が失言問題で取り沙汰されて失脚してるわけで、自民党の議員としてのこういった手口については知った上で、寄稿するべきでしたし、そもそもこういった連中に議論などを行うつもりも更々なく、正論どころか話すら通用しない連中です。現状からして、正面突破は厳しい案件なだけに評論家ならばいいのですが、政治家となれば話は別です。
結局は「生産性」といったパワーワードが先行して、こういった連中に餌を与えたことが全ての問題ですし、こういったテーマを掲載した新潮側のミスであるのは事実です。全体を読んだ印象として、「生産性」に触れる必要はないですし、行政による過度の支援について問題視するだけであれば、反論の切り口が厳しくなっただけに残念です。
その後の10月号の小川榮太郎氏の寄稿について問題となってたみたいなので、これについては、sasuke氏の記事で全文を紹介してますので紹介します。
新潮45 小川論文はそんなにおかしいか - 日本奪還
一部の表現だけを見て叩かれるといういつもの構図ですが、こういった状況での反論としては敵に餌を与える行為で、火に油を注ぐ行為ともいえますし、論文全体の趣旨については一定の理解は出来ますが、それ以上でもそれ以下でもないと思います。
新潮45休刊について
新潮45休刊については、表向きの原因となったのは杉田水脈議員のLGBTに関する寄稿から、騒ぎになって反論の寄稿を掲載したのはいいが、収拾がつかなくなったというより、純粋に部数低迷と面倒事を抱えたので休刊したとも受け取れます。細かい表現なんだけど、新潮社のコメントを見る限り、原稿のチェック体制の不備、社長声明を掲載してしまったことに対して問題視してるように思う部分もあります。こういったコメントというのも、言論誌としての一応の抵抗と、部数低迷に揺れてた部分はあると思います。実際問題、「ここ数年、部数低迷に直面し」とあるし、発行部数を見る限り、2018年4~6月の平均で、16,800部となっております。10年前の2018年4~6月の平均だと、42,833部となっております。
雑誌の発行部数については、日本雑誌協会のHPより確認が出来ます。
https://www.j-magazine.or.jp/user/printed/index
週刊文春と週刊新潮だとこんな感じ。
・週刊文春
2008.4~6:766,667
2018.4~6:613,087
・週刊新潮
2008.4~6:719,213
2018.4~6:423,539
結構データを取ると面白いのですが、ここ10年でも雑誌の発行部数は軒並み低迷しております。それでも2万部以下の雑誌を発行するのも、「手記、日記、伝記などのノンフィクションや多様なオピニオンを掲載する月刊誌として、言論活動を続けてきた」というのも、利益抜きに言論活動を行う上で重要な役割を果たしていたともいえるし、今回の社長声明だったり休刊の判断は、新潮社の商業的な観点からは致し方ないことは理解できます。
とはいえ、多様なオピニオンを掲載という意味では、休刊するにしてもある程度戦うべきだったとは思っています。以下の記事を紹介します。
新潮45休刊に「言論で対応すべきだった」 辻田真佐憲氏 - 産経ニュース安易に「休刊すべきだ」という論調を受け入れると、「言論弾圧」に関する免罪符を与えることになります。以下の記事の主張も当然ともいえます。
近現代史研究者の辻田真佐憲さんの話 極端から極端に振れたという印象だ。こういう問題が起きるとすぐに「休刊すべきだ」となりがちだが、それでは話を単純化してしまう。問題の記事を寄稿した人が「言論弾圧だ」と主張する言質を与えることにもなる。これが前例となると、今度はリベラル系の雑誌が問題を起こした際に、休刊の圧力が強まる結果にもなりかねない。次号で性的少数者(LGBT)についての多様な意見を紹介するなど、きちんと言論で対応すべきだったのではないか。
『新潮45』が休刊へ… → ネット「何ですぐに屈するかな!?」「この程度の事で、休刊するぐらいなら、最初からやるな!」
本来であれば、多様な意見を紹介して言論で戦うべきだと思いますが、相手が言論弾圧を目的としている連中が紛れ込んでいる以上、戦い方もあるようには思いますし、新潮は新潮なりに戦ってました。
週刊新潮の「LGBTの運動が左翼に利用されたいきさつを暴露した記事」が話題に。 - Togetter
一部のLGBT活動家の所業のせいで他のまともな人達も肩身の狭い思いをするという話 - Togetter
実際問題、一部のLGBT活動家のせいでLGBTについて議論が出来ない状態になっているともいえます。これはこのツイートが本質だと思います。
結局はこうなってしまうわけですし、これは昔も今も変わらないです。20年前くらいの薬害エイズに関する話で、小林よしのり氏の「脱正義論」の話になるのですが、改めてこの頃の小林よしのり氏はすごかったと思います。新潮45休刊にからめてこういうコメントが。— ゆずる (@yuzuru_D4U) 2018年9月25日
「恐らくこれから誰もLGBTの事は何も言わなくなります。でもそれは認めたわけでも、受け入れられたわけでもない。「あの人たちにかかわると面倒だから」と避けられているだけ。それが本当に当人たちの望んだ結果だったのか…」
これはホントそうだと思う。
SELDSの デモの動きから、改めて「小林よしのり 脱正義論」を 紹介します。 - Togetter
脱正義論を紹介します。
新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論 | 小林 よしのり |本 | 通販 | Amazon
小林よしのり氏のピークであり、作家として死んだ作品とも言えますが、ブログ主の価値観としての個の一つの要素を確立するためのきっかけとなった作品であったことのもあって、今の変節を見ても、小林よしのり氏を否定する気にはなれないです。断片的なものを見て否定するのは簡単ですが、人を否定するためには、その為の生き様そのものを見ないと否定は出来ない性格ですし、何か光るものがあれば、そこに人の価値というのを見出だせるんだよね。だからこそ、今の所謂保守界隈として評判のよくない西田昌司氏についても、否定的なことを書いてない理由ともいえます。一番苦しい状況で、前面に立って戦えるかということが出来る人は尊敬出来ますね。自分にはない要素なだけに・・・。
脱線しましたが、言論で戦うということはブログ主も経験はありますが、いろんなところからの誹謗中傷だったり、爆破予告などから戦わないといけないというのもありますし、戦う次元において一定の覚悟は必要なのはありますね。自分の場合は、継続することを目的としてますが・・・(苦笑)
言論弾圧との戦い方について
これらの騒ぎについてなんだけど、声闘みたいな言論弾圧と戦わないといけないのも現実だと思うし、どのようにして戦うかというのは重要だと思っています。気に食わないことについて、あらゆる手段で封じ込めてくるわけで、圧力に屈したら、それを正当化してくるというのが手口ですし、面倒な相手だし関わりたくない連中であるのは事実ですし、相手のやってくることは、威力業務妨害、脅迫、器物損壊罪など、あらゆる犯罪を言論の自由?などを免罪符にして正当化しているとしか思えないし、圧力の中に必ず犯罪要素というのが含まれております。ここで政治犯について触れておきます。
政治犯 - Wikipedia政治犯だと、反政府的とか思想犯、国事犯が該当します。LGBT活動家は政治犯に該当します。政治犯が強制送還の対象になりますし、そんなに甘い話じゃないと思います。政治犯って多すぎともいえるのは気の所為ですかwww
政治犯(せいじはん)とは、ある国の政治体制の中で「反政府的」とされる態度・言動をとったり、「反政府的」とみなされる組織をつくるなど革命運動・抵抗運動・反政府活動を展開したことが元で、政治的理由で逮捕状が出されていたり、刑務所・収容所などに収監されている者を指す。「思想犯(しそうはん)」「国事犯(こくじはん)」とも言う。
実際問題、こういった類については犯罪要件を満たしていても、警察は動いてくれないのも事実ですし、証拠を固めたとしても、警察が動くかは懐疑的です。悪質なクレームの類にしてもそうだし、学内自治も弁護士自治も一緒ではありますが、取り締まらない犯罪は犯罪ではありませんし、収拾がつかない状況になってるようにも思います。暗黙の治外法権こそが、言論弾圧の根拠の一つになってるし、あらゆる特権の根拠となっているともいえます。